Vol.001 「エピソード・ゼロ」
- 2016年12月7日
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ベンチャー企業や上場会社のような派手な話はありません。小さな起業物語です。ですが、ほとんど実話です。事情により脚色しているところもありますが、私の実体験を元に、記憶をたどりながら起業記録をお伝えします。何の実績も能力も知識もなかった私がどうやって起業を成功させたか?特別な能力や知識なんか必要ないことをこのメルマガでお伝えしたいと考えてます。起業なんてそんな難しくない。なんかこう勇気になればと思います。
私は大きな会社の経営はしたことありませんので二流以下ですが、1000万円くらいまでのビジネスをつくることに関してはプロフェッショナルだと思ってます。そのあたりのノウハウ的なものも体験談を通じてお伝えできればと思ってます。
横須賀の起業物語
私が起業したのは2003年の5月です。独立起業というと非常になんだか格好良くて優秀な人っぽいですが、実際のところは無計画、無資金、無知識・・・とあるものを探す方が大変なくらい、何もない状態からスタートしました。当時23歳で、大学を卒業して1ヶ月ちょっと、という時期。普通に考えれば起業なんてできません。そもそも発想がわかない。
では、なぜ独立起業しようと考えたかというと、新卒で入ったベンチャー企業にリストラされ、職を失ってしまったからです。新卒で入ってたった1ヶ月でリストラです。クビです。そこでもう「勤めるのはごめんだ」って発想になって。それで持っていた行政書士の資格で「仕方なく」開業しました。
ある種わがままです。プライドも高かったと思います。会社をリストラされる前はもっと性格も悪かったと思います。で、とりあえず「独立起業」してしまったんです。
当時住まいが東京都調布市というところで、調布市の小島町1丁目に住んでました。なぜ調布だったかというと、会社が同じ京王線沿線にある笹塚という駅が最寄り駅だったからです。就職決まったから調布に引っ越したんですが・・・このありさまです。
そして、当然、すぐに食えるようになるはずもなく、1年目の売上は48万円ほど。2003年5月から12月までの年商です。ひどすぎます。笑
開業当初は躁鬱状態で、何か仕事っぽい話があると躁状態になり、仕事が途切れると鬱状態になり、今考えれば本当にすさまじいです。ガスは止まるし、電話も当然止められる。そんな状況が断続的に続きました。
メンタル的にタフでもなかったので、「もう廃業しよう」と思った時もありました。頑張っても頑張っても仕事は取れないし、収入も増えない。お金もないのに朝からビールを飲んで人生について考えたりもしました。めざましテレビを見ながらビールってなんて罪悪感。もう、本当にダメ人間なんだって思いました。ああ、俺の人生おーしまい。みたいな。笑
その後、どうなったのか。
あるきっかけを元に一念発起。行政書士という堅い仕事なのにセミナーをしたりコンサルを始めたり、上場企業から講演依頼を受けたり仕舞いには商業出版までしてしまう始末。
25歳の時(2005年)に技術評論社さんから「小さな会社の逆転戦略最強ブログ営業術」を出させていただいて、それがなんと2万部を超えるヒットに。現在では14冊、合計12万部ほどのビジネス書作家にまでなることができました。行政書士事務所の経営も順調に売上を伸ばし、3年目で1000万円を突破。現在はコンサルティング会社を経営し、スタッフ2名と新宿界隈で仕事をしています。
創業当初はまったく予想してませんでした。ナポレオンヒルは「思考は現実化する」といいましたが、私は「思考してなくても現実化することがある」と考えてます。本人もびっくり。
では、才能や学歴、経験があったからできたかというとそうでもなく、大学在学中にベンチャーを起こした経験もないですし、学歴も専修大学法学部といたって普通です(専大の人、ごめんなさい)。
今年で起業して9年になります。景気が若干良いときも悪いときも経験しました。でもバブル期ではないです。そういう意味では、今、「こんな不景気の中、起業するなんて自殺行為だ」とか思いこんで起業の夢を叶えられない人に役立つ話ができるんじゃないかと思います。体系化されたノウハウは、弊社で運営している経営スクールや教材を参考にしていただければと思いますが、このメルマガでは体験談を中心に、記憶を辿りながらお話させていただこうと思います。
何百億動かしたとか、上場したとか横領事件とかライバルの出現とかそういうドラマチックな展開はないと思いますが、その分リアルな起業物語になると思います。
タイトルの「資格起業家」というのは、私が行政書士という資格を使って起業したので、そういうタイトルになってます。古い先生いわく「行政書士で食えるようになれば、どんな商売でも食えるよ。そのくらい難しい。」だそうです。
※このエピソードは、横須賀輝尚が有料メルマガとして2011年頃に配信していた原稿です。この原稿は、のちの「お母さん、明日からぼくの会社はなくなります」の元となりました。